言葉のヒ−リング

 このhp始まって以来の連載企画です。現在、小百合さんがヒ−リングに力を入れているのは皆さんご存知ですよね。そこでこのコ−ナ−は古今東西の名言を一つずつ取り上げ、言葉によるヒ−リングを実践しようという試みです。尚、言葉についてはある本からパクリ転載し、私なりのコメントをつけていく予定です。

第十九日
【自分が不完全であることを認める勇気が必要だ。人間は不完全だから努力するのである】 by アルフレッド・アドラ−
<コメント>
 容姿端麗でお金持ち…なんて人はめったにいませんよね。「俺は知ってる!」という声が聞こえてきそうですが、でもそんな恵まれた人でもなにがしかの問題や悩みをかかえているものです。
 
 ありとあらゆる面において完全な人はこの世の中には存在しません。誰でも必ず何か不完全なところがあるものです。もし自分が「完璧すぎる」と思ってしまったらその人は努力するでしょうか?いいえそんなことはするはずがありません。なぜなら全てが完璧な状態であればその努力自体が無意味なものになってしまうからです。
 その良い例がマラソンの世界記録ではないでしょうか。今の世界記録のタイムが完璧だと思うならばその記録保持者にとって一番良いのは「もう走らない」ことです。これ以上のタイムは存在しないのですからせっかく走っても結果は出ないという論理です。
 でも当然間違いですよね。世界記録保持者だってみんな「よりよい自分」を求めて必死で練習をして日々努力しているのです。その陰には「まだまだ完璧ではない」という自己認識があるからなのです。

 大切なことは「完璧な自分」より、「不完全な自分」を発見した方が自分自身の為になるということ。まずは落着いて自己分析をして一歩一歩確実に進んでいきましょう!

第十八日
【刑務所の鉄格子のあいだから二人の男が外を見た。一人は泥を眺め、一人は星を眺めた】 by デ−ル・カ−ネギ−
<コメント>
 朝の満員電車はとても疲れます。でも疲れないための工夫をあなたはされてますでしょうか?例えば音楽。他の人の迷惑にならない程度の音量でも「小百合さんのcd」聴いているとけっこう「別世界」に感じられるものです。
 今回の言葉は非常に奥が深いですね。二人とも置かれている状況は同じでも見方ひとつ、考え方ひとつで大きく変わることをうまく表現していると思います。電車の例は工夫次第で嫌な場所でも良い場所に変わるということを理解していただきたくて書きました。

 我々の世界はすべてが自分にとって「いい場所」ではありません。でも毎日の職場のように「逃げ出せない」場所があるのも事実です。それならば「何かひとつ」自分のモチベ−ションのあがる工夫をされてはいかがでしょうか?これは他の人から言われてもあまり効果はありません。それは自分の意識を変えないといけないからなのです。
 ちなみに私は昔いた会社で、よその部署から移ってきた部長さんが「ここは暗いな!朝ぐらい元気で挨拶しよう!」と言ったことがありました。翌日から女の子とかは元気で「おはようございます!」といってましたが疲れきっていた営業マンの我々は心の中で「そんなもんで元気になるか!」と悪態ついていました。でも最近どちらが正しかったのかがようやく私にもわかるようになりました。

 同じ時間を過ごすならば楽しく過ごした方がいい。みなさんはそのことに気づいていますか?

第十七日
【ひとりぼっちの寂しさと誰からも必要とされていないという思いは、もっとも恐ろしい貧困である】 by マザ−・テレサ
<コメント>
 世捨て人にでもならない限り、必ず我々は誰かと交流を持っています。天涯孤独で友人が一人もいないという人でもそれは同じです。「そんなことはない!」という言う人もいるかもしれませんが考えてみてください。食堂に入って「ハヤシライス下さい」という一言だって人とのふれあいの一種です。毎日同じ店に通えば顔なじみになり世間話もするようになります。我々はけっして一人ぼっちではないのです。
 
 では何故そう思ってしまうのでしょう?それは心の持ちかたの問題です。自分から心を開くように思っていさえすれば、自然と道が開けてくるはずです。もし寂しいと思ったら…少なくともあなたは今このペ−ジを見ているのですから掲示板に一言メッセ−ジを書いてください。あっという間に仲間が増えるはずです。
 小百合さんを好きなあなたはきっと小百合さんのように優しい心を持っているはず。けっして一人ぼっちではないですよ!

第十六日
【人の運命を決定するものは、その人が自分自身をいかに理解しているかということである】 by ソロ−
<コメント>
 あなたは履歴書を書いたことがありますか?たいていその中に自己紹介の欄がありますよね。そこに書いたことは本当のあなたですか?
 履歴書の姿は大抵あたりさわりのないことを書くのが通例となっています。だったら書かなくてもいいようなものですが採用されるためには多少のウソでも書いておかないと書類審査にパスしません(もちろん性格とか趣味の話ですよ!)

 それでは自分の人生や生き方にまでウソを書かなければいけないのでしょうか?当然答えはNO!ですよね。自分が正しいと思い、自分がこうしたいと思うことがあるのであればそれに向かって立ち向かって行かないと自分の一生までもがウソになってしまいます。
 そこで問題になるのが「本当の自分」を見つけているかどうかということです。世間や家族の価値観とあなた自身の価値観が常に同じということはありません。だから他の人にとってはたいしたことのないことでもあなた自身にはとても重要なことがあるはずです。それに気づいたときに「私はこうしたいんだ!」ということがはっきりと言えるようであればきっとその人はその目標に近づくことができるでしょう。
 自分にとっての素敵な生き方を頭の中にイメ−ジして下さい。まずそうすることが成功への第一歩になるはずです。

第十五日
【すべての不幸は未来への踏み台にすぎない】by ソロ−(アメリカの作家)
<コメント>
 人間、歳を重ねる毎にいろいろな経験をしていきます。仕事のこと、恋愛のこと、友達づきあいのこと…でもそのすべてが楽しいことや嬉しいことばかりとはいきません。仕事でとんでもない失敗をして上司から怒鳴られたり、ずっとずっと好きだった人から別れを告げられたり…そしてどうしても避けて通れないのが「人との別れ」ではないではないでしょうか。
 生きとし生けるものいつかはお迎えがきてしまいます。当たり前のことでありながらとてつもなく悲しいことですよね。でもそのことでその場に立ち止まってしまっては残された人生を前に進むことができなくなってしまいます。せっかくあなた自身には自由な時間が与えられているのに…

 誰だって苦しみや悲しみは人それぞれに抱えているはずです。でもそれを知りその苦しさを乗り越えられた人は確実に周りの人に優しくなることができます。そして手に入れた喜びがいかに大切でいかにありがたいものであるかを実感することができるでしょう。
 
 歳を重ねるということは「不幸」を経験することです。でもそれ以上に「幸福」を発見する旅でもあるのです。

第十四日
【未来は予測するものではない、選び取るものである】 by ヨアンノルゴ−
<コメント>
 よく街中で占いの順番を待っている女性をみかけます。「○○の母」なんていう超有名クラスになると何時間も待つこともしょっちゅうです。でも「占い」とは「予測」であって「運命を変える」わけではありません。例えばどうしても好きな人がいて占いをしてもらったら「ご縁がありません」と言われたらあなたは納得してあきらめてしまうのでしょうか?またどうしようもない詐欺師の男が好きでも「うまくいくからつきあいなさい」と言われたらだまされると知っててもあなたはつきあうのでしょうか?
 人間は弱いところがありますからみんな心の中で不安を抱えています。そして誰かに「うまくいくわよ」と言ってもらいたいものなのです。でも全然自分のことを知らない人に予測してもらっていつも有効な判断やアドバイスをしてもらえるのであれば「努力」などというものは無意味になってしまいます。

 予測は現時点のものであり今後の条件によって大きく左右されます。今現在がたとえ厳しい状況でも努力次第で大きく変わることも十分にありえるのです。そしてその逆に仕事が順風満帆の人でも何時なんどき大きな病気になるか事故になるかもしれません。大切なことは今どうなっているかということよりもこれからどうするかという選択にかかっているのです。

 最後に誤った例をひとつ。「縁結びの神様」は好きな相手がいないな人が適当な相手を見つけてくれるところではありません。好きあった者同士が「うまく結婚できますように」とお願いする場なのです。そしてもちろん神様は「back up」であり努力するのは当人達ですのでくれぐれもお間違えなく。

第十三日
【井戸を掘るなら水がでるまで掘れ】 by 石川理紀之介(農村指導者)

<コメント>
 よくスポ−ツ競技などで「参加することに意義がある」ということが言われます。結果よりも行動を起こすこと自体に意義があるのだということなのでしょう。ですが我々の実社会で果たしてそう言いきれるでしょうか?営業の人間で「1日100軒売りこみして売上げ0」の人と「3軒しか回らなかったけど1軒に売った」人とでは多分、後者の人の方が高く評価されることでしょう。
 もっとわかりやすいのが「試験」と言われるものでいくら努力しようがいくらあと一歩であろうが「落ちた」者はたまたま運良く「受かった」者に対して絶対的な敗者となり、落ちた者に対して世間がその努力を認めることはほとんどないでしょう

 だからこそ「成功する」まで頑張らなければならないのです。今すぐに成功しなくても成功するための努力を続けていればそれは「努力中」であり、成功する可能性が残されるのです。
 かの発明王の有名な言葉で「私の発明は99%の努力と1%のひらめきだ」という言葉があります。普通の人は途中であきらめてしまうから成功しない。でもそれでもあきらめないでいたから成功したわけですよね。
 もちろん全てのことが必ず「成功する」わけではないでしょう。でも最初にまず「成功するまで頑張ろう」と思うことが成功する為の第一歩ではないでしょうか。

第12日
【できると信じても、できないと信じてもどちらも正しい】
                              by ヘンリ−フォ−ド

<コメント>
 私は物事に対してかなり「あきらめの悪い」人間です。
 子供の頃、運動会で「障害物競走」がありました。不器用だし力があるわけでもない私は夜誰もいない空地で「うさぎ跳び」の練習したり「ヒモの結び方」の練習をして少しでも早く走る練習をしてトップになりました。大学受験も何度も失敗しました。が、あきらめず予備校に何年もかかってようやく受かることができました。
 大人になっても性格は変わらず、仕事もつきあう女性も全部自分が納得したものでない時は行動を起こさずベストと思えるものにだけ全力であたってきました。その結果として数多くの失敗をして未だに地位も名誉も彼女もいません。

 私のことを知っている人は「もっと楽な生き方があるのに」とか「早くしないと人生終っちゃうよ」とか言う人がいます。おそらく現状でできることだけ目指せば「それなりの幸せ」はつかめるでしょう。でも「できる」と思ってあきらめずに頑張っていると本当にできてしまうことが結構あるのです。もちろんそれが実現するのが半年後なの5年後なのかはわかりません。でも命があってあきらめさえしなければきっと多くのことが「できる」と私は信じています。
 どういう生き方をするかは人の自由です。でもどうせ一度きりしかない人生であるなら何事も「できる」と思って頑張っていきたいと思っています。
 ちなみに私の信条は「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」ということです(^^;

第11日
【旅に終わりがあるのはいいことだ。でも結局大事なのは旅そのものだ】
by アシュラ・K・ルグイン(アメリカの作家)

<コメント>
 突然ですが「ドラえもん」をご存知ですよね。みなさん小さい頃ドラえもんのポケットから出てくるあの「道具」にあこがれたませんでしたか?(私は今でも欲しいと思うものがあります)。街頭アンケ−トで「あなたはドラえもんの道具の中で何が一番欲しいですか?」と聞いたところ、一番多かった答えが「どこでもドア」だったそうです。
 なるほどの答えなのですが…「旅」にかぎってはこのどこでもドアは旅の楽しみを奪ってしまうものだと私は思います。だって旅は行く前から「どこに行こうか?」と楽しく本で行く先を探し、プランを練り、準備をして…行く前から本当にドキドキします。そして旅の途中でお弁当を買ったり、ゲ−ムをしたり、名所をまわったりと全てが旅に含まれる楽しみだからです。

 ただ「どこどこに行った」だけではその喜びは半減してしまうことでしょう。本当の目的は「行く先」ではなく「旅そのもの」にあるのです。そしてこの「旅」を「人生」に置き換えたらどうなるか……我々は「死ぬ為に生きている」わけではないですよね。(少なくとも私はそうです)
 毎日の生活の中で喜びを見つけ、苦しみを乗り越え、一歩一歩、歩いていくこと、それ自体が人生そのものなのです。そう考えると「今日一日ぐらい」と無駄にしてしまうのはもったいないことですよね。(と、またしても自分自身に言い聞かせています(^^;)

第10日
【ちいさい親切、ちいさい愛の言葉が、地上を天国のように幸福にする手助けをする】 by カ−ニ−(アメリカの教育家)

<コメント>
 我々の日常生活は小さな事の積み重ねです。そして毎日同じことをしているようで少しづつ違った日々を過ごしています。ですから我々が「今日は何もしていない」と思っていても実は他の人にとっては「あの人親切だな」と感謝されていることも多々有る事でしょう。
 例えば我々ぐらいの年代だと電車で席を譲ることはよくあることです。でも譲ってもらった人はとても嬉しいことのようです。私自身「松葉杖」を使っていたときに若い女性の方が親切に譲ってくれたのをとても鮮明に覚えています。
 また、とても困ったことがあった時や落ち込んでいる時に小百合さんから「頑張って!」と掲示板に書きこみがあった時なんか飛び上がる程嬉しかったりしたものです。
 我々は一人きりで生きているわけではありません。必ずなにかの関係で繋がっているのです。ですから「小さい親切」「小さな愛の言葉」を心がけてみましょう。きっと自分が困ったときに助けてくれるはずですよ。

第9日 
【だけど、目では何も見えないよ。こころで探さないとね】
                              by サン・テグジュペリ

<コメント>
 皆さんは「貧者の一灯」という言葉を聞いたことはないでしょうか。その言葉の意味は「貧しい者が神様にささげる一つの明かり」ということで「まごころ」の尊いことのたとえです。これは例えば足が不自由でとても困っている人が超お金持ちの人から「デラックス電動車いす」をもらうよりも貧しい人が心をこめて作った「手作りのつえ」をもらった方がはるかに嬉しいし、意味のあることだということです。

 昔私はすごく疑問に思うことがありました。それは街頭募金の活動です。だって我々が寄付できる額なんてたかがしれています。それだったらお金持ちの人からもらった方が額は多くなるし、だいいち募金活動している人達自身がその時間何かバイトして稼いだ方がいいのでは?と思ってました。でも…実際は目で見える額ではなくてその中にこめられた「こころ」が大切なのですよね。
 ということでみなさんも「目先のもの」にとらわれることなく「こころ」で判断するようにしましょうね!と言いつつ自分に言い聞かせてます(^0^)
P.S…小百合さんのチャリティ−活動もみんなで「こころをこめて」応援しませう!

第8日 
【自分こそ自分の道しるべである】 by ブッダ

<コメント>
 私は人から相談を受けることが多いのですが、相談されても困るタイプの人がいます。それは女性の方に多いのですがどんなアドバイスをしても「でも−」といちいち理由をつけて納得しない人です。せっかく親切にアドバイスしているのにと最後にはこちらが放り投げたくなってしまいます。
 でもきっとそういう人は「自分の答え」がすでに決まっているのでしょうね。だからいくら他の人がいいアドバイスをしても「自分にぴったりの答え」にならないのでしょう。人間は時々「このままでいいのかな?」とか「これからどうしよう?」とか不安になる時があります。
 でも一番正しいのは自分の心に正直になることだと思います。それは自分自身でしか自分の進みたい方向はわからないからです。だから占いをしても「自分が希望すること」以外は信じない方がいい結果がでるかもしれませんね。

第7日
【過去を悔やみ、未来を案じるのも結構だが、行動できるのは今だけだ】
by マズロ−(アメリカの心理学者)


<コメント>
 みなさんは「あの時こうしておけば」と思ったことはありませんか?あの時もっと頑張っておけばとか、あの時あの娘とつきあっておけばとか…逃がした魚が大きければ大きいほど後悔しますよね。でも結果として過ぎてしまった「その時」は二度ともどってはこないのです。それなのにいつまでも悔やんでいると目の前を「もっと大きな魚」が通り過ぎようとしているのが見えなくなってしまうものです。
 逆に今から未来を気にするあまり「チャンスがあっても何もしない。とにかく現状維持」では今の自分を変えることは難しいでしょう。
 今、体が健康でもいつまでもそのままとは限りません。またいつ自分の身内の看病をしなければならなくなるかもしれません。そう考えるとこのマズロ−の言っていることは至極「正しい」ことだと思います。
 
 時間は我々が行動しようがしまいが過ぎ去って行くものです。それならば自ら行動をおこして前進した方がいいですよね。

第6日
【あなたはあなたの一生以外の何ものでもない】 by サルトル

<コメント>
 人にはそれぞれ価値観というものがあります。だからその人にとっての幸せはその人でなければわかりません。
 例えばものすごいお金持ちの人がいたとしましょう。その人には美人の奥さんがいて立派な子供達がいたとします。でもだからといってその人が幸せを感じて生きているとは限りません。不治の病にかかっていたり体が不自由だったりした場合、そのひとにとっての幸せは普通の健康体を願うことかもしれないからです。
 
 たとえ人より恵まれていなかったり、人よりつらい体験をしたとしても自分で自分の人生を決める自由があるのであればそれに勝る幸せはないかもしれません。自分の人生のキャンバスに自分なりに思い描くような絵をかきたい。だって我々にはまだ白いキャンバスの部分が残っているのですから。

第5日
【何かをしたい者は手段を見つけ、何もしたくない者はいい訳を見つける】
by プブリュス シルス


<コメント>
 皆さんは太平洋をヨットで横断した堀江さんという人をご存知でしょうか?彼は今から30年も前にたった一人、小型のヨットで太平洋を横断しハワイまで行きついたという偉業を達成した人です。今でさえ荒れ狂う海の前に何人もの船員さんが毎年命を落としています。ですからその当時の周囲の人の反対は容易に想像がつきます。でも彼は自分でヨットを改造し、訓練を積んで成功させたのでした。
 彼はその時「パスポ−ト」を所持していませんでした。許可が下りなかったからです。だから辞めようと思えばいくらでも理由はあったのです。でも彼は実行してしまいました。それは「努力し成功すれば道はひらける」と考えたからです。
 
 あなたはテストの点数が悪そうな時に事前に言い訳を考えたことはありませんか?でも本当ならそんなことを考えている間に良い点数を取るための勉強をしておけばよかったはずですよね。この言葉は私にとっても耳の痛い「為になる」言葉です。
P.S…どっかの狂言士の方がヘリとジェットで見事に無理だと思われる移動を成功させましたが、あれは事前にスケジュ−ル管理をしておけば良かったからであって今回の言葉とは質的意味が違うのでお間違えのなく!

第4日
【一日を振り返ってそこに楽しみと、喜びと、心からの満足がまったくなければ、その日は損失だ】 by ドワイト D アイゼンハワ−

<コメント>
 どんなに「ついてない日」でもなにかしら一つぐらい自分にとって良かったり、嬉しかったりすることがあるものです。例えば「今日は秋晴れの良いお天気で気持ちよく仕事に行けた」とか「お昼のランチが自分好みのメニュ−でおいしかった」とかetc…(私なんかは小百合さんのダイアリ−が更新されただけで本当に嬉しいという満足感でいっぱいになりますけどね)
 問題なのはそのような「いい事」があってもそれを「うれしい」と思う気持ちがなくなってしまっていることです。お仕事に忙しい人であればそんなことぐらいで喜んでいるヒマなどないと思うかもしれません。でもそういう「心のゆとり」がないようではせっかくのプラス材料がみすみす無駄になってしまいます。「うれしい」と思う気持ち、そして「今日はこんな良いことがあった」と思える気持ちを持てることこそが人生の糧となるように思います。
 さあ、あなたも寝る前に今日の「小さな喜び」を思い出してみてははいかがですか!

第3日
【行動は必ずしも幸福をもたらすとは限らない。だが行動なしには幸福もありえない】 by ベンジャミン ディズレ−リ

<コメント>
 人間は歳をとるごとに何かにつけて「守りに入る」ことが多くなります。若かった時のように何事に対しても挑戦しようという意気込みよりも「失敗しない」方を選択したがるのです。でも果たしてそれが本心なのでしょうか?
 例えば、今の仕事の他にもっとやってみたい仕事があるとします。でも多くの方は「生活のこと」とか「成功する可能性」とかを考えて足を踏み出すことはないでしょう。家庭をすでに持っている方ならばそれはそれなりに正しい選択かもしれません。しかし、もし自分一人だけの問題だとしたら「あきらめる」ことが正しい選択なのでしょうか?せっかく自分の夢を持っていながら挑戦さえしない…一度きりの人生の割には少し淋しい気が致します。
 恋愛もそうです。本当は好きで好きでどうしようもないぐらい好きな人がいても「どうせ無理だから」と始めからあきらめてしまったら…とても最高の幸福なんて手に入れることはできないでしょう。
 
 もう一度上の言葉を読み返してみてください。そして自分の本当の気持ちと向き合った上で危険を覚悟してもやってみたいことがあるなら…その次は成功する為の方法を考えればいいのです。

第2日
【望まなければ何事も成就しません。希望は成功に導く信仰です】
                               by ヘレン ケラ−
<コメント>
 言葉だけだとごく当たり前の事のように感じますが彼女の言葉だとぐっと重みが増しますね。ご存知のように目も見えず、耳も聞こえず、もちろん話すこともできない彼女が普通の人と同じように、いやそれ以上に活躍できたのはひとえに「努力」以外の何事もなかったでしょう。
 では何故そのような努力が続けられたかといえば「希望」があったからですよね。人間がつらい事に耐えて頑張れるのは「夢や希望」があるからであってそれがなかったら進歩しようなどとは考えもしないでしょう。だからまずはその「夢や希望」をはっきりと心の中でとらえることが必要なのではないでしょうか。私ですか?ありますよ!身分不相応な大それたものが(^0^)

第1日 
【人間は自分が幸福であるというということを知らないから不幸なのである】
by ドストエフスキ−
<コメント>
 日々の忙しい生活にとらわれていると自分がどれだけ幸せなのかということを考えもしないものです。みなさんはお腹が痛くなったり、熱が出たりすると普段の状態がどれほど幸せなのかということを実感しませんか?実際に「苦しい」とか「死ぬほどつらい」とかの場にならないとなかなか今の幸せに気づかないことが多いものです。
 もし私が小百合さんに出会わなかったら…今の私にとっては考えるのも恐ろしいことです。小百合さんがいるからライブや会報や公式サイトを見る幸せがあるのであり、もしそうでなければ間違いなくこのようなサイトも存在しなかったことでしょう。だからそういう意味でも今の私は「幸せ」なのです。みなさんも今の「幸せ」について考えられてはいかがですか。